コンシェルジュリー

オルセー美術館を見学した後に、徒歩でシテ島に移動することにしました。
セーヌ川に沿って、約1kmくらいでしょうか…
川風がとても冷たく、耳がちぎれるかと思いました(ToT)
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パリ最古の橋「ボン・ヌフ」は間のシテ島を通過してセーヌ川両岸を結んでいる。全長238mの橋。
それにしてもクルーズ船の二階席はガラガラ…

シテ島に着いて、まず最初にコンシェルジュリーに行きました。

コンシェルジュリーは、マリー・アントワネットが幽閉されていた場所として有名。
裁判で死刑判決を受けたマリー・アントワネットは1793年10月16日、ここから、
コンコルド広場にあるギロチン台に送られました。

ここに収容されていたのはマリー・アントワネットだけでなく、1793年1月から
1794年7月までの間に2600名の貴族や革命家たちが投獄され、日に
数十人単位でギロチン台へと送られていったそうです。
それが、フランス革命でのコンシェルジュリーでの出来事なのです。

このように暗い歴史を物語るコンシェルジュリーですが、それ以前の10~14世紀
にかけては、実は、王宮だったそうです。
「憲兵の間」(写真)は、1302年に建築され、王宮に仕える2000人の人々の食堂
だった場所で、今も中世のゴシック様式を見ることができます。

14世紀後半になると、王居は別に移されましたが、この建物は、コンシェルジュ
(=王宮と牢獄を管理する権利を与えられた守衛)により管理されることになったそうです。
その後フランス革命時には、このコンシェルジュリーは、革命裁判所となり、
牢獄としての役割が強化されることになりました。
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(上)セーヌ川から見た「コンシェルジュリー」
一部が資料館として公開されていて、公開されていないところは最高裁判所と警視庁の一部として使用されている。
(中左)憲兵の間…かつては王宮の憲兵の食堂。牢獄時代には男性囚人の収容所。
(中右)女囚の庭…女性囚人の独房舎に囲まれた庭では自由に散策ができた。
ただし、独房に入っている=裕福な地位の女囚。(牢獄のランクもお金次第)
(下右)女囚の庭から建物への入り口…狭い小さな入り口でした。
(下左)マリー・アントワネットの独房を復元。その一部は、実際に女王の牢屋が存在した場所にある。

毎日ワクワクしながらパリの街を歩いていましたが、さすがにコンシェルジュリーだけは違いました。
重苦しい雰囲気…
せっかく来たんだからゆっくり見てみよう、という気力さえ奪ってしまう、恐ろしく不快な空気です。
本当は、私は、このコンシェルジュリーをすごく楽しみにしていたのです。
楽しみ、といえば不謹慎かもしれませんが、パリを旅行するに当たり、
「マリーアントワネット」の伝記を読み、マリーの足跡に触れてみたかったからです。
ですが、ここは、本当に重過ぎる。
激動の時代に、波乱の人生を歩んだマリー・アントワネット。
ちょうど私と同じくらいの年齢のとき、我が子を残し、ここで最期の時を過ごしたことを想像すると、胸が苦しくなりました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by ks-wishes | 2009-02-11 22:55 | フランス・イギリス旅行

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